飛騨の細道 127-「それでも町家は、健在である」


■それでも町家は、健在である

最近では畳、襖、障子、鴨居、欄間、地袋、天井、
床の間、長押し、上がり框と日本家屋にまつわる言葉を、
とんと耳にすることがなくなった。

人のこころは移ろいやすく、
カラダに楽なしつらえ求めることは自然の摂理で、
古い町並みをみて「ああ、懐かしい、情緒がある」と
いっている観光客の人の自宅が、
じつはオートロック付きのマンションだったというのが
現実なのである。

建縁側に足踏みミシンがあるような光景は、
もう博物館で見るしかなく、飛騨高山でも町家建築は、
稀少な文化になってしまっている。

こういった時勢だからこそ、施主のいい分をはねのけ、
大工は気概を持たなければいかんのだが、
今は、昔とちがっていろんな法律(建築基準法・消防法)が壁となり、
実際、木造で認可をもらうにはが何倍も費用がかかる。
それでもいいという施主さんは正直いっていないのではないか。

便利さや快適さ、そして安心を求めた結果、
失ったものはあまりにも大きい。


写真/市内でも珍しい町家の薬屋さん。