飛騨の細道 16 - 「血が通いあう飛騨の職人たち。」


■血が通いあう飛騨の職人たち。

天職という言葉がある。これを英訳すると「vocation」なのだが、
ラテン語に由来しており、そもそもは「神様からの呼びかけ」という意味だったようだ。
これを知ってぼくのなかに「神様から呼びかけられ、どうしてもことわれなくて、
その職に就いたんです」と、
遠慮がちに語る実直な飛騨の職人たちの姿が浮かんできた。

彼らは飛鳥時代の国宝である『玉虫厨子』を完全模写し、
現代によみがえらせるという志しを持っていた。
しかし、現存する法隆寺の『玉虫厨子』は透かし金具の一部に
みどり色の玉虫がかろうじて残ってはいるものの厨子は輝きを失い、
壁面に描かれたうるし絵はところどころが消失。
そして色はほとんどが抜けきってしまっていたのだ。

ところがそんな状態にも関わらず、厨子の寸法をはかることはおろか、
そばに近づいて見ることすら禁止で、
寸分と違わぬ『玉虫厨子』を復刻することは不可能に近かった。
職人たちは何とかしてこの限界によこ穴をあけ、
施主のロマンや夢にこたえようと努力する。
それは宮大工が、まき絵職人と専門用語をまじった言葉でやりとりをはじめると、
知らぬ間に彫り師や錺金物職人がそこに加わり、
それぞれの職人の立場から知恵をだしあうという、
まさに職人の血と血が通いあうものだった。

一徹に貫かれる職人たちの表情、うごき、物言いをながめていると
敗けいくさになるかもしれないが、
「一丁やってやろうじゃないか」という心意気が充満していたのだ。
金銭のやりとりが最優先するようなかさついた時代に、
金よりも名誉よりも地位よりも大事なものを持ち得た男たちは、
どうしてこうも粋で格好よく、打ち水のようなさわやかな潤いを感じさせてくれるのだろうか。


玉虫厨子/国立科学博物館(東京都上野)にて12月23日まで展示