飛騨の細道 166-「修復をするひと」


■修復をするひと。

高山陣屋の大きな表門はまるで舞台の書割りのようで、
いろいろな観光客の記念写真の背景になっている。

表門の向こうには葵の紋が入った紫の幕が見えるが、
その先に「青海波(せいかいは)の文様が描かれた床の間がのぞく。
この文様は徳川将軍家だけに許されたシンボルで、
見れば同心円の円弧を上下左右に反復して積み重ねた割付模様。
海や水、波の象徴となっている。

この文様をどこかで見た覚えがある人が多いと思うが、
五月の薫風に吹き流れる鯉のぼりだ。
ウロコを90°回転すると「青海波」になる。
文様のカタチはいたって単純明快だが、
これが増幅することによってリズミカルな躍動感と安定感を生まれ、
重厚な江戸建築にセンスのある軽みを生んでいる。

単純な図形とはいえ、描けばしだいに色が落ち、はがれ落ちてもくる。
そこで修復となるわけだ。
これが高松塚古墳壁画の修復のような国家財産ともなれば、
平山郁夫さんや東山魁夷さん(両人とも故人)あたりへ
文化庁から直々依頼という運びになってくるのだが、
高山陣屋の「青海波」の場合は誰だったのだろう……。

じつは白羽の矢を当てられたのは長年、
高山で絵師や図案家(グラフィックデザイナー)として
活躍してきた郷土作家の玉賢三氏だった。

ローマ教皇たっての願いで、
イタリアのシスティーナ礼拝堂の天井画をいやいや修復したという、
恐れ多い夢を見るほどの絵好きな彼によって、
現在の「青海波」が存在しているわけだ。


写真/青が青色でないところが上品である