飛騨の細道 78-「提灯や(その二)」


■提灯や(その二)

フーテンの寅さんでお馴染みの啖呵売りの中に、
「はったはった親父の頭、貼らなきゃ食えない提灯屋」と
いうのがあるが、提灯屋には記憶の奥に置き忘れてきた、
人間的なぬくもりと哀愁がある。

提灯と聞いて、思い出されるのがまずは「小田原提灯」。
そして「浅草寺雷門の提灯」。
さらに身近なところでは「岐阜提灯」だが、
飛騨で提灯といえば祭りに欠かせない『献灯提灯』を指す。

ひと昔前は一つの村単位で70から80個の発注があり、
春になるとどこの提灯やさんもてんてこ舞いだったというが、
今は一巡してしまい、あっても新しく作るものより修理が多い。
しだいに需要が少なくなってしまった提灯やは
いまでは飛騨で唯一の山下亨さん(73才)と
奥さんの貴代子さん(66才)夫婦だけになってしまった。

「提灯なんてもんは一年に一回しか使わんでなかなか壊れんのやさ。
下手すりゃ十五年も持つで、作るもんにしてみりゃ、
早う壊れてくれんと困るんや。といって提灯屋が、
夜な夜な提灯を破いて回るわけにはいかんしね。(笑)」と
貴代子さんは言う。

提灯は各家々の前に建てるものや神社や屋台提灯、
そして起し太鼓などで使用する弓張り提灯など、
神社や祭礼によって提灯の形態は異なる。
そこに加え、組や町内、村によって紋描きや
絵付けや文字が違うため種類は驚くほど多いが、
これを受け持つものが貴代子さんである。

書ではなぞってはいけないとされているが、
ここででは型を使い、
紋や文字は思う存分、なぞって仕上げている。


イラスト/手製の作業台を使ってひご巻きをする亨さん。