飛騨の細道 124-「ただものならぬ気配」


■ただものならぬ気配

室町時代の風俗をかいた「職人づくし」によると、
商いをやっている家には今のような看板といった類いのものは現れず、
ただただ商品を並べているだけだった。

看板を見なくても
「八百屋に看板なし」ということわざのように、
商品の実物を客の目につくように並べれば、
それだけでなに屋なのかは一目瞭然。

その後、ざる屋ならざるを掲げるなどして、
何屋なのかわからせるようになった。

さて、この看板と店構え。
戸が閉まっているため何屋か、さっぱりわからぬ。
年季がはいった白壁土蔵の汚れと、創業明治元年の文字が、
ただものならぬ気配を感じさせるのだが、
いったい看板の「御油(ごゆ)」とはいかなる代物を売る店なのか。

ネットで調べてみると、豊川市に御油町というところがあり、
かつては東海道五十三次の宿場町として栄えたというが、
大手味噌・醤油メーカーが、ここで安永元年に操業を始めたという。

どうやらここの主は、本家本元の地名にあやかり、
看板にその名を刻んだようだ。
てなことで、この店は味噌・醤油の商いが正解のようだが、
店先はシーンとしていて、どこかうらさびしい。


写真/白壁の土蔵がなにやら主張しているような