飛騨の細道 204-「はんなり」


■はんなり

京都には「全国京都会議」なるものがあっ
て、景観が京都に似ていること。京都の歴史
とつながりがあること。伝統的な産業と芸能
があることの要件に1つ以上合致していれば
会議への加盟が承認され、小京都の仲間入り
が許されるというのだ。

調べてみると北は青森から南は鹿児島まで
に、じつに50近い町が「おいらの町って○○
の小京都だもんね」という匂いを発しながら
名を連ねていた。

しかし分家が本家に似ていても、それは目
に見える部分だけであって、性格まで瓜二つ
というわけにはいかない。風習や文化の厚み
というのは、分家がどう真似ても本家のよう
には身につかないものだ。

そこに気づいたのか、飛騨高山はこの団体
からすでに脱会し、京都にはない個性にいち
早く磨きをかけてきた。
今から6年前、私はそんな本家の京都であ
る体験をした。友人の娘さんの舞妓デビュー
に立ち会ったのである。

見習いの修業を重ね、「今日から舞妓にな
ります」という日に、舞妓さんは「見世出し」
という儀式を行うのである。私は父親が連れ
てきたカメラマンという特典で、なかなか入
ることができない置屋さんの中まで撮影がで
きる許可をいただいた。

置屋さんの奥はおしろいの匂いが漂う8帖
ほどの部屋で、着物を収納する家具が三方向
からバリケードのように迫っている。わずか
2帖ほどの畳が見える狭いスペースに娘さん
は襦袢姿で不安げに立っていた。

彼女の前後を挟むように男の人が二人、気
合いを入れると、アウンの呼吸でさらさらと
着物を着せ、それからぐっ、ぐっ、ぐっと帯
をしめて、さっさっと化粧を済ませてしまっ
た。それは驚くような早さなのである。

さすが千年の都。ここでは着付けは男の人
がするのだった。
「お茶屋さんや踊りのお師匠さんへ挨拶回り
どすね」。置屋の女将さんは両親にそう説明
すると、舞妓さんを火打ち石で清め、玄関へ
と送り出した。外には男衆さんが羽織姿で傘
を持って待っている。

こぬか雨の中を傘を差し、祇園花見小路から
新橋方面へと歩く舞妓さんと男衆。濡れた石
畳の角を曲がり、向こうへと消えゆく二人か
ら、立ち上がってくるのは、「はんなり」と
した美しさ。千年の都が私だけにちらりと見
せてくれたものだった。

(現在、その舞妓さんは辞め、今は高山から
もう一人、舞妓デビューした娘さんがいる。
芸妓さんをめざし、がんばっていると聞く)