飛騨の細道 71-「春隣」


■春隣

春浅し、春近し、春淡し、春めく、春きざす、
春間近、春を急ぐ、春遠からじ、明日の春。
古くからせっかちな日本人は、暦のうえで春をむかえる頃になると、
いろいろな春待ちことばを使ってきた。
そこには寒くて暗い冬から早々と切り上げ、
待ちこがれた春を体いっぱいで味わいたいという
願いが感じられる。

さらに耳を研ぎすませば春は言葉からだけでなく、
いろいろな音から感じられるものだ。

屋根のなごり雪が水滴となって雨どいを伝わる音や、
開け放った窓から聞こえるバイクのエンジン音。
そして洗濯ものが風になびく音など、
そのいずれもが雪降る冬に聞くのとちがって、
耳がくすぐられてくるから不思議だ。

ところで新聞やTVでは、毎年おなじ時期になると判を押したように
季節の歳時記をニュースで取り上げている。
それをみて疑似体験としての季節を味わう現代人は、
微妙な季節の移り変わりを感じたり、伝えたりすることは
年々できなくなってきている。

ことばがすたれていくのが先だったのか、
自然が失われていくことでことばが忘れさられていくのか。

いずれにしても、美しい自然とことばをいま一度見直し、
だれにでも平等にめぐる季節の移り変わりを、
次の世代に伝えたいものだ。


写真/春隣(はるとなり)は「春と成り」にかけたことば。「祭り旗」が建った高山には春がすぐ隣まできている。