飛騨の細道92-「木とは気である」


■木とは気である

あらためて「木とは何か」と聞かれたら、
意外と返答に困ってしまうものだ
まずは「木とは日本人」と答えてみよう。
まさに木は私たち日本人の心の問題でもあり、
文化や文明にまでつながってくる。

「木とは神である」という回答もあるだろう。
巨木な木を仰ぎみるとき、
ヒトはその姿にすがすがしさをおぼえ、
感動するとともに畏怖の念をもつ。

大きな森に分け入るとき、その静けさや清涼感、
大きな懐に抱かれた安堵感に癒されもするが、
陽のとどかぬほの暗さや、先のはかれぬ奥深さに、
ややもすればその向こうにひそむ
「何か」を感じ取り、怯え、恐怖する。

その感覚こそが目に見えぬ神に対する観念そのものであろう。

まさに「木とは気」なのだ。


写真/樹齢推定1,250年の大銀杏で、弁当を広げる飛騨のひと。