飛騨の細道 38-「270年続く飛騨の老舗料亭-1」


■270年続く飛騨の老舗料亭-1
 
洲さきは陣屋から中橋を渡り、城山へ向かう通りにある。
目の前が三之町通りの入口になるために旅人の往来が激しいが、
とばりが落ち、あたりが暗くなると急にしっとりとした通りとなり、
辻の秋葉様や水墨画のような美しい松からは、
いにしえの匂いが立ちこめてくる。

そんな通りの風情を邪魔せぬように
「洲さき」の入口は遠慮しがちな佇まいを保っていた。
藍染めの暖簾をくぐり引き戸を開ける。
まるで外と内を遮断するものが何もなかったように、
ごく自然に足を土間へと踏み入れた。

日常から非日常へ……などというとお座なりだが、
洲さきに入ったとたんに包まれる濃密な空気には老舗料亭独特の重みがある。
右手の座敷きにしつらえた菖蒲の花を眺めながら天井を見上げると、
豪奢な町家造り特有の吹き抜け空間の奥行きに圧倒され、
一瞬、ここが料亭であることを忘れてしまった。

「ごめんください」と、私が声をかけると
絶妙の間合いで佳子さんが出てみえた。
軽く挨拶を交わした私は、奥の仄暗いけしきに惹かれるように廊下を歩き、
案内する佳子さんに付いて、「松の間」へと通された。

「松の間」のガラス戸から注ぐ春の光は、
障子戸の和紙を抜けるとさらに柔らかくなって、
部屋全体を優しく包みこんでいた。
佳子さんが席を立ったあと、部屋の中をゆっくりと見回した。
雪見障子のガラスからは、まるで書き割りのように枯れ山水の庭が見え、
桧皮色の土壁に貼られた腰張りが
しっとりと落着いた空間をさらに引き締めていた。

ここにじっとしていると、清らかで直ぐな憧憬が思いだされ、
畳のよさを味わうことができる日本人の感性は、
時代が変わってもそう簡単に消えるものではないようだ。


写真/女将さんの洲岬佳子さん