飛騨の細道 1 - 「自己主張する外国人。」


■自己主張する外国人。

外国映画には食事をするシーンがよく登場する。
それをみて感心するのが、西欧の人の料理の注文のしかただ。

半熟で食べようが、固いゆで卵で食べようが、オムレツで食べようが、
おなかにはいってしまえばけっきょくは同じ卵じゃないか、という僕とは違って、
彼らは好みに対してはっきりと自己主張をする。

たしかに主張するのは正しいことだし、立派な態度だと思うのだが、
「そこまでしなくても……」というような恥じらいを感じてしまうのだ。

そんな僕だから、注文まちがいの料理がきても、
店員を相手にとりたてて怒るわけでもなく、「まあ、いいか」と食べてしまうし、
昼どきに店に入れば作る人のことを考えて、手のこんだメニューは避けてしまう。
こんな気の弱い姿を見たら西欧人はきっと「オ〜マイ!ゴット!!」と叫ぶに違いない。
外国人との違いをこんな風にあらためて考えるのも、
最近外国人観光客をよく目にするからだ。

フランスの旅行ガイド、「ミシュラン」の三つ星効果でたくさんの老若男女が
西欧からやってくるが、彼らの自己主張はなにも料理だけとは限らない。
身ぶり手ぶりをまじえた恋人どうしの内輪モメは
「そこまでしなくても……」と思ってしまうほど徹底している。

「私は陣屋を見たいのよ」
「いや、オレはもうくたびれたから宿へ帰りたいんだ」
などと二人が言っていたかどうかはフランス語なのでわからないが、
女性がいきなり大声で自己主張をしはじめた。
彼も負けずに自己主張で応戦したが、業を煮やした彼女はついに切れ、
怒ると背中を向け、中橋へと歩きだしたのだ。

その時僕はハタと考えた。
人前で自己主張することを「みっともない」と思う日本人には
見栄もあるだろうが、恥じらいやつつしみの方がはるかに気になるのだ。