飛騨の細道 188-「猫が主催した絵画展」


猫が主催した絵画展

『ダーウィンが来た』というNHKの番組がある。
人間以外の生きもののすばらしさを迫力満点の映像で
伝えるという内容だ。

それにならった訳ではないが、
一匹の猫が飼い主になりかわって、
プロデュースをする風変わりな絵画展が
高山で開催された。

飼い主は生まれつき心臓が悪く、
クラスメイトと一緒に遊ぶことができなくて
必然的に一人になることが多かったという。

やがて知人からもらった猫が、
彼女の無二の親友になる。
猫は彼女の絵に登場しだし、
飼い主になりかわって絵の中で
自由奔放に生きはじめた。

そしていくつもの作品が生まれたのだが、
昨年の7月、飼い主はわずか24歳で
この世を去ってしまった。

この猫を擬人化した絵画展を考案したのは、
ギャラリーのオーナーと作者の母親。
そんなわけでこんなコメントが
会場に登場した。

これからはオレさま、
野中モーラが語るねこ自身の話である。
オレには心惹かれる1冊の絵本があって、
それは『100万回生きたねこ』という話に
登場するねこの物語である。

あらすじは一匹のねこが輪廻転生を
繰り返していく様を描いたもので、
子どもより大人のファンが多いという名作中の名作である。

読み手によってこの物語には
色々な解釈が考えられるのだが、
それまで心を開かずに虚栄心のみで生きていたねこが
恋をして、家族を持ち、
大切な人を亡くすことで、
はじめて愛を知り悲しみを知る…という、
シンプルなんだけど、どこか心の奥深くにじわっーと
染み入ってくる話なのだ。
オレさまも絵本の主人公のようにいずれ
この世から消える日がやってくるのだが、
ご主人(野中まゆみは昨年逝去された)を
先に失って気付いたことは、
人間は何のために生きているのかということ。

その答えは他人を愛するため。
この世界を愛するため。
これは人間だけでなくて、
ねこのオレ様だって同じなのである。
オレさまの世界はとても小さな世界なんだけど、
自分が何かの一翼を担っているという感触が
絵の中にきちんとあって、
野中まゆみと確実に結びついていると確信がオレにはある。

それはオレにとってかけがいのないものであるのだ。
大切なものはすべて目に見えないもの。
目に見えないものがすべて大切なもの。
野中まゆみは白い紙の中に、
今でもそれを探し続けているような気がする。

この絵画展にはTVからラジオ、
そして新聞と多くのマスコミが関わり、
宣伝に努めた。
もちろん主役の猫は連日、受付けを買ってで、
会場に張り付いた。

この絵画展を聞いて「温泉行きを中止し、
急遽この絵画展にやってきた」という
猫好きの旅行者もいたほど、
絵画展は連日にぎわった。

せちがらい時代に、一匹の猫がなげかけた温かな話。
動物はどんな時代になっても、
人間の良きパートナーである。