飛騨の細道 86-「樹から生れる」


■樹から生れる

無日本人は今でも大黒柱を敬う。
そして板の間を裸足で歩き、木の香りのする湯舟に浸かる暮らしを理想とする。

幼い頃は眠れなくなると天井の節を数えながら、
まぶたが重くなるのを待った記憶も持っている。

自然に負けまいと対峙する西欧人と比べると、自然に溶け込み、
共に生きることを善しとするのが日本人の考えだ。
だから木肌の温もりに触れ、自然が描く木目を眺めることで、
生物の生命力と落ち着きを取り戻せると、日本人は信じることができるのだ。

そしてここにも自然に魅せられ、
木に魅せられ、一脚の椅子あるいは一棹の箪笥に、
心と技を尽くす家具職人がいる。
 
家具づくりの工程を最初から最後までをひとりでこなす彼は、
人の手を借りないことで、責任のありかを明確にする。

使う側にしても気にいれば誰をほめ、よくなければ誰に文句をいえばいいか、
極めて明快だ。だから、お互いに妥協ができないから、
おのずと感性や技術に厳しくなる。
 
彼らの生み出した木の家具は、表情といい、仕草といい、
面白いほど作者に似てくるというが、木の命を知り、それを再び材として、
その木が生きてきただけの命を再生できる家具職人は、
まさに神の手をもつ人である。


写真/家具職人(高山市市制70周年記念誌たまゆらより)