飛騨の細道 176-「西方浄土」その2


■西方浄土

標高2300mあたりに咲く千町ヶ原の花は高山植物とよばれ、
野や道の片隅に咲いている花とは趣が異なる。

花々は2㎝にも満たない小さな花弁で
ちょっと油断すると見落としてしまいそうな
ささやかな花なのだ。

こんな小さな花にも当然、おしべやめしべがあって、
花粉目当てにやってくる、
これまた小さな虫に注目されようと
必死に咲いている様子が痛々しく、愛おしい。

見れば背丈の大きな植物の横で、
風に耐え、小刻みに震えているのだが、
小さな命に思いを重ねたくて、ついレンズを向けてしまう。

ところで極楽浄土のような千町ヶ原へと続く登山道は現在、3ルートある。
一つは乗鞍青年の家から丸黒山を越えて向かうルート。
二つ目は乗鞍の剣ヶ峰から、はえマツの間を下って向かうルート。
三つ目は南乗鞍キャンプ場からのルートだ。
ただし、南乗鞍キャンプ場は私有地のため、このルートは禁止となってしまった。

この3つのルートが整備されるはるか昔、
朝日村に住む上牧太郎之助が、同村の青屋ルートを開発したのだが、
このことを知る登山客は案外少ない。
(明治28年、上牧太郎之助36歳に着手した)

明治32年になると乗鞍は国峰霊場と定められ、
山岳信仰の行者として修行に明け暮れていた上牧太郎之助は、
自ら開発した乗鞍青屋登山道に石仏を祀る計画をたてた。
(大正3年、上牧太郎之助55歳)

青屋登山口から頂上までの登山道に、空海さんと不動明王を2体づつ。
88ケ所、計176体もの石仏を安置するという、
途方もない計画である。

19年もの年月を重ね、石仏は無事安置されたのだが、
聞けば心ある登山客が石仏を背負いながら、リレー搬送したという。
なにか心が温まる話である。

今でも千町ヶ原には、新調された祠や、
池のぎわに安置された石仏を見ることができるだが、
その多くは頭を失ったり、体の一部が欠けてしまっている。


写真/池のぎわで西方を見つめ続ける空海さん