いい「作り手」。いい「食べ手」。

いまだにチャンネルを変えても料理紀行の番組は人気があり、
あとを絶たない。
地方には正直に誠実に、食に関わる人がたくさんいる。
それにくわえ、その土地土地の風土が独特の隠し味となって、
このうえない豊かで、味深い食文化を作っているのだ。

旅と食はきってもきれない関係だが、
その町の文化レベルを知るには「駅前の食堂へ行くに限る」と
旅好きな知人が言っていた。
そこで何を頼むのかといえば「麺類」だと言うのだ。
全国どこにでもあるもっともポピュラーなメニューだからこそ、
ごまかしが効かないというが、
あながち間違っていないのではないか。

わたしはその言葉にならい、
友人と一緒にU市を訪れたさいに食堂を探した。
いかにも「駅前の食堂で〜す」というような格好の店を見つけると、
ふたりははやる気持ちを抑え、のれんをくぐった。

わたしはテーブル席につくやいなや、そくそくとラーメンを二つを頼んだ。
数分後に結果がでた。
文化を語るまでもなく味は散々であった。

飛騨といえば、最近では飛騨牛や中華そばに人気が集まるが、
昔から伝わる在郷料理といえば、朴葉みそや山菜料理だ。
京料理のように艶やかさはなく、
質素で味付けも地味である。

山また山の飛騨で、洗練された味を望むのは酷だが、
最近になって本場欧風のハムやソーセージ、
そして山菜ジャムなどの新しい食材が飛騨から生れるようになった。

二人の職人さんに共通しているのは商品もさることながら、
素敵なライフスタイルがバックボーンにあることだ。
味へのこだわりは当然のこととして、
「語りながら楽しむこと」を食の中心においている。
それはイタリアのインテリアショップと見間違えるようなお洒落な工房や、
リースのある古民家から十二分にうかがえる。
参加者が職人と直に触れることによって、体感するよろこびが
飛騨の通にはある。

この旅では最後にわら細工の工房を訪れるのだが、
食からは一転し、ワラでナワをよりながら馬を作る。
師匠のおっとりとした飛騨弁とワラのあたたかな手触り。
ここでの味わう時間は、出逢いの旅に素敵な彩りを添えてくれるのだ。