飛騨の細道 141-「飛騨牛物語」


飛騨牛物語

「人間さまの都合で天寿をまっとうする前に、命を頂戴させてもらう。
それが牛飼いの仕事なんやさ。
だから命を無駄にせんような努力をせにゃいかんのや。
美味しい、美味しいと言って食べてあげることが、牛への供養になるんやさな」。

飛騨牛の牛飼い、辻垣内さんは、
命への恩返しについて語りはじめた。
辻垣内さんは牛の話になると顔つきがかわる。
それは今は亡き父の儀(のり)さんが、
飛騨牛のルーツに関係しているからだ。

昭和35年頃、山師を続けてきた父が
土地改良の付帯事業として始めたのが『牛飼い』だった。
「これからは山や田んぼなんかではなく、いい黒牛を育てるこっちゃ」

儀さんは将来を見とおすように地域に声をかけ、
自らが牛飼いのモデルとなって新しい事業にチャレンジした。
息子の辻垣内さんはそれを受け継ぎ、
いまでは奥さんと二人で250頭近い黒牛を育てるほどになっている。

十牛図ではないが、仏教と牛は切っても切れない関係があり、
インドでは仏さまの使いといわれている。
家畜の死生観を人とは一緒にできないが、
牛の死によって暮らしの糧を得ている辻垣内さんは、
あらゆる生き物の命を祖末にしない。
牛はもちろんのことそれが猫であっても殺生を詫び、心から供養するという。

伺えば伺うほど飛騨牛にかける情熱の深さには驚くが、
こうした篤農家は飛騨にはじつに多い。
考えてみればその先駆者は飛騨の匠であり、
素材を大切に生かすことで敬意を示す「心」は、
物が変れど、同じなのだ。
それは人の生き方そのものでもある。

ところで国体の冬期大会は17日に幕を引いたが、
優勝者には副賞として「飛騨牛2キロ」が進呈されたという。


写真/スキー競技の優勝者に贈られた飛騨牛