飛騨の細道-52 「洗い地蔵」


■洗い地蔵
寺町とよばれる東山界隈を歩きながら、
今回お目当の法華寺へと向かった。
 
境内に足を踏み入れると女性的な美しさを
たたえる書院造りの本堂が目に入った。
池には伽藍の静謐な空気と寄り添うように白の睡蓮が四つ、
さりゆく夏を惜しむように咲いていた。

見渡すとモノトーン色に染まる境内の南側に
色艶やかな千羽鶴に囲まれた洗い地蔵が見えた。
身の丈およそ六〇センチ。足下には備え付けのたわしが置いてあり、
台座は涼し気に水で濡れている。

聞くところによると、浄行菩薩はお釈迦さまのまな弟子四菩薩のひとりで、
水の力をもってからだの苦悪や邪心を洗い清めるといわれている。
現在の洗い地蔵は三代目で、昭和三十五年に祀られた。
二代目は三代目の背を見つめるようにお堂の奥に祀られている。

磨き込まれた二代目は水の成分なのか、
茶褐色に染まり、目鼻や脚はたわしでこすられて形が残っていなかった。
多くの人たちの苦しみや悲しみを一身に受けてきた洗い地蔵だが、
その歴史は古く、江戸時代までさかのぼる。

法華寺の境内には大きな灯籠があるが、
そこには献納者であった「内藤好行」の名が書かれてある。
彼は高山陣屋の役人だったが、その母が「浄行菩薩のお蔭で長命をいただいた。
私が死んだら骨を浄行菩薩の下へ埋めてほしい」と遺言を残し、永眠された。

初代の洗い地蔵は建立されたお堂とともに遺言どおり境内に安置され、
その願いは初代から三代目へ受け継がれた。

帰りぎわ、手押し車を押しながら坂を上がる老人とすれちがった。
背中は海老のように曲がり、歩くこともままならないようだが、
境内までくると迷うことなく地蔵堂へむかった。


写真/手前の地蔵が三代目、後方が二代目