飛騨の細道 67-「昭和は遠くになりにけり」


昭和は遠くになりにけり

呼び名が昭和から平成へと代わって24年たつが、
58歳の私は逆算すると昭和を34年間生きてきたことになる。
昭和といえば、私は数年前に奇妙な体験をした。
それは取材で訪れた東宝撮影所でのできごとだった。
 
東京ドーム二つぶんが入る撮影所には、
大小あわせて八棟ものスタジオがある。
私は体育館をひと回り小さくした古いスタジオに足を踏み入れた。

誰もいないスタジオはうっすらとホコリが舞い、
空気は澱(おり)のように湿り、ひんやりとしていた。
 
見るとそこは見覚えのある場所で、
話題になった映画「ALWAYS続・三丁目の夕日」のセットに
足を踏み入れていたのだ。
 
意表をついた昭和の出現に息を呑みながら、
一瞬俳優になったようにセットの横丁をゆっくりと歩いた。

木製の電柱に残る貼り紙の切れはし、
風で破れた凧がからむ電線。
三角乗りを覚えたいかつい自転車や、
ヒビが入った窓ガラスの四角い絆創膏など、
まわりに目をこらすと大きなものから小さなものにいたるまで、
昭和30年代の人の暮らした痕跡が、濃厚に残されていた。
 
平成から昭和へ。
私は時間と空間を一気に逆もどりしたことに興奮したが、
数日前まではこの場所で大勢の人間たちが真剣に駆けずり回り、
声を絞り上げ、這いつくばり、汗を流し、
ひとつのものを作り上げた場所なのだ。

そのひとつとはかつてはあった親子の濃やかな情愛であり、
かつてはあった好きな人への無償の愛であり、
かつてはあった友情や信頼である。

昭和がしだいに遠くに離れるにつれて、
身の回りから感情や関係性が
どんどん失われていくようだ。


写真/写真/高山下一之町○昭和館