飛騨の細道 62-「深遠なるもの」


■深遠なるもの

飛騨人は円空仏を敬う。
それは仏閣に奉る本格的な仏像と違い、
多くの人々が身近に拝めるような親しみが
円空仏にはあったからだ。

慈愛に満ちた「微笑」を見つめていると、
誰もがこの柔らかな表情に心を打たれるのだが、
簡略化された荒削りな姿は、
自然に溶け込み共に生きる神仏そのものである。

全身全霊をかけた荒削りな仏は、
飢えや疫病や災害に苦しんでいた当時の民衆たちが拝み、
ときには手で抱き背負ったものが多い。

鉈で削り落とされた鋭角な仏像の外観は
こうして人と触れることで、
やがて丸みを帯び、手垢が滲み、傷が無数につき、
やがて仏本来の姿に戻るのだ。


写真/雪をまとう円空像