飛騨の細道 28- 「そのままがいい」


■そのままがいい

「素朴」、「素材」、「素顔」、「素質」、「素行」。
素からはじまる言葉を思いつくまま並べてみた。

辞書を引くまでもなく、「素」とはそのままが一番美しいとか、
手をくわえないというようなイメージがあるが、
人間の知恵とか手先ではどうすることもできない大きなもの
(宇宙といってもいい)の調和を、
壊さないように生きようということだ。

さて、飛騨にはしもた屋と呼ばれるが家々が軒を連ねているが、
その様子は飛騨という環境とうまく馴染み、とても美しい。
ところが家屋に使われている素材は木と土と竹と紙だから、
地震や大火がきたらひとたまりもない。

かつては高山でも大火に見舞われ、
しもた屋はいくどとなく焼失した。
それでも大工や家主は木と土と竹と紙にこだわり続けてきた。

木は風雨に晒されることで木目が浮き出し、
美しい模様を見せ、青い竹は時が過ぎると茶色に変色し、
寂た美しさに姿を変える。

貼り替えた汚れのない真っ白な障子は、
凛とした静寂さを醸し出し、家人に踏みつけられた土間は、
コンクリートのように硬くなり、
凸凹しながら独特の風合いを見せる。

「そのままが一番」というのは、
変らないことではなく、自然にゆだねながら
変っていくことを楽しみ、生活の喜びとすることだ。

現代建築は快適さという点においてはたしかに優れており、
耐震や耐火、そしてセキュリティーにおいては、
しもた屋なんかの比ではない。

しかし、現代建築は完成したときが一番美しく、
時を経るごとに汚れていく。
さらに変らないことを善しとする新建材だから、
自然と同化することはない。

人は年を重ねるごとにごまかしが効かなくなり、
「素」が出てしまうが、それはそれで味わいになる。
しかし、現代の建物はそうはいかない。